Adrian MUTU
アドリアン・ムトゥ | ||||||||||||||||||
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持ち前のスピードを生かしたドリブルによって相手ディフェンス陣を振り切り放たれるシュートも強力、パスセンスにも優れMF、FWどちらのポジションでもプレー出来るユーティリティ性を持つルーマニア代表。 アルジェス・ピテシュティの下部組織で育ったアドリアン・ムトゥは1997年3月15日にトップデビュー、その後評価を上げて名門ディナモ・ブカレストへ移籍する。ここで持ち前の得点力を買われMFからFWへコンバートされると10代ながら主力として活躍し33試合で22得点を記録する。圧巻は99/00シーズン前半戦18試合18得点、この活躍がインテル首脳陣の目にとまりシーズン途中にルーマニア人として10人目となるセリエA選手となったが、スター揃いのインテルでは出場機会も少なく、シーズン終了後にヴェローナへレンタルされた。ここでもシーズンを通して4得点しか記録出来ずフィジカル面の脆さも目立ったが試合に出場する事で着実に成長、精神面での成長も加わり02/03シーズンより加入したパルマにて一気に才能を開花させる。ディバイオが抜けた事で弱体化が予想されたチームにおいて攻撃の要として活躍し、得点ランク2位タイとなる18得点を挙げセリエAでもトップクラスの実力である事証明した。また、この活躍から2003年ルーマニア年間最優秀選手にも選出されている。迎えた翌03/04シーズン、パルマの新主将に任命され背番号も中田から10を受け継ぎパルマを牽引する予定であったが、大型補強を遂行するプレミアリーグチェルシーへと電撃移籍、シーズン第2節レスター戦にてプレミアデビューを果たしさっそく決勝ゴールを挙げる等、この強豪で不動の地位を確立させるかに見えたが・・・。 2004年10月の代表試合後、ドーピング検査でコカイン陽性反応を示し長期の出場停止処分が下る。これによりクラブからも見放され苦しい時期を過ごす事になるが2005年に入り、イタリア強豪ユベントスが獲得に動き加入、2005年5月29日カリアリ戦において約7ケ月振りの復帰を果たした。翌05/06シーズンより本来の調子を取り戻すと左右問わずウィングとしてプレー、32試合7得点の活躍でスクデット獲得の原動力となり自身2度目のルーマニア最優秀選手にも選出されている。残念な事に、その後発覚するチームの八百長疑惑によりスクデットは剥奪され、チームもB降格の裁定を受けたため、パルマ時代の恩師であるプランデッリ率いるフィオレンティーナへ移籍している。 代表としては2000年3月29日ギリシャ戦にてデビューを飾ると同年開催された欧州選手権メンバーにも選出され決勝トーナメント進出に貢献した。その後2002年W杯、2004年欧州選手権、2006年W杯と代表が出場を逃しているのは残念な所である。とくに2006年W杯欧州予選では自身の出場停止処分中チームは勝点を延ばせず、復帰後は3戦連発の決勝ゴールで3連勝を飾るも時すでに遅くオランダ、チェコに後一歩及ばなかった。キャリアのピークにある2008年欧州選手権で本大会出場を果たして欲しい所である。 余談だが、6才の時、幼いムトゥは当時プレーしていたピテシュティジュニアチームのメンバーから外されてしまう。理由はリーグ登録が7才からだった事なのだが、帰宅後泣きながら母親に吐いた言葉が「何故12ケ月早く生んでくれなかったのか!」。昔から負けず嫌いの性格で知られるムトゥならではの談話だが、この性格なくして今のムトゥの成功はなかったと思われる。 (01/09/19 Created)(07/02/20 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||