Hiroshi NANAMI
名波浩 | ||||||||||||||||||
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けして俊敏ではなかったが、それを補うだけの左足のテクニックでジュビロ磐田の黄金期を支えると同時に日本代表でも「10番」を背負い活躍したスタープレーヤーの1人である。中村俊輔が台頭するまでは日本最高のレフティとして名を知らしめている。 兄の影響でサッカーを始めた名波浩は地元西益津サッカー少年チームで本格的な指導を受けた。西益津中学を経て名門清水市立商業校へ入学、ここで後にチームメイトとなる藤田等と共に全国高校選手権優勝や高校総体優勝を成し遂げている。その後順天堂大学に進学、五輪日本代表に選出された他3年の時には総理大臣杯のタイトルをチームにもたらしている。 1995年にジュビロ磐田へ加入、同年3月18日シーズン開幕戦となったジェフ市原戦でデビューを飾るとすぐに地位を確立させ活躍する。翌年より3年連続してJリーグベスト11に選出、更に1997年にJリーグ年間王者獲得に貢献すると翌年にはナビスコ杯、ファーストステージ優勝、そして1999年にはアジアクラブ選手権制覇も成し遂げた。期待されたセリエAでは思うような出場機会に恵まれず1年でジュビロ磐田へ復帰したが、改めて質の高いプレーでファンを魅了し2001年ファーストステージ優勝、2002年にはファースト、セカンド共に優勝を果たし完全制覇を達成させるなど、まさにジュビロ黄金期になくてはならない存在であった。その後2シーズンジュビロを離れるが2008年より復帰、近年タイトルに見放されているチームを豊かな経験で牽引してもらいたい。 日本代表デビューはJデビューから5ヶ月後の1995年8月6日コスタリカ戦(京都)。翌年より10番を背負い活躍し1998年W杯でも全3試合に出場、トルシエ体制となってもチームの中心としてプレーし2000年アジアカップでは最優秀選手に選出される活躍でチームを優勝に導いてみせた。2001年に右膝を故障した事で代表を離れ2002年W杯でもメンバーに選出される事はなかった。代表通算67試合9得点。 (08/02/06 Created)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||