Ariel ORTEGA
アリエル・オルテガ | ||||||||||||||||||
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素晴らしいパステクニックと得意のドリブル突破によって相手DF陣を切り崩し、得点感覚にも優れた元アルゼンチン代表チャンスメーカー。ペナルティエリア内でよく倒れる事から「ダイブの達人」としても知られるが、オルテガ本人にとってはあまり嬉しくない評価であろう。 リ−ベルファンである父親にサッカーを教わり地元クラブにてプレーに磨きをかけると15才でリーベルの誘いを受け入団する。当時リ−ベル監督であったパサレラの英才教育を受け1991年12月14日プラテンセ戦にて17才でトップデビュー、以後主力として活躍しリーグ優勝、リベルタドーレス杯優勝などのタイトルに貢献する。1996年トヨタ・カップでも来日、ユベントスに敗れはしたが得意のドリブルによって観客を魅了した。97/98シーズンバレンシアにて欧州デビューを果たすが期待通りの活躍に至らず、その後のセリエAでの2シーズンも不発に終わったのは残念な所・・。しかし2000年よりリ−ベルへ復帰すると本来の調子を取り戻し完全復活、アイマール、サビオラ、アンヘル等と素晴らしいコンビネーションを見せた。 そんなオルテガが深刻な事件をおこしてしまったのは2002年W杯後トルコ強豪フェネルバフチェへ移籍後の事。トルコの水が合わず、わずか半年で母国へ帰国、チームに無断でとった行動であったため多額の違約金を請求される事となる。オルテガはこれに応じず事態は深刻化、FIFAが介入し2004年末までの出場停止処分が下される。精神的にも困憊したオルテガは2003年11月に引退を表明する事態となったが、これを救ったのが母国クラブ、ニューウェルスである。2004年8月、フェネルバチェへ移籍金を支払った事で和解となり約20ケ月の歳月を経てピッチへ戻れる事となった。オルテガはこの恩にプレーで報い前期リーグ優勝のタイトルをもたらすなど素晴らしい活躍で完全復活を果たしたが2006年復帰した古巣リバープレートにてアルコール依存症が悪化し長期のリハビリを余儀無くされた。現在は復帰している。 アルゼンチン代表として1993年12月15日ドイツ戦にてデビュー、1994年W杯では最年少ながら、マラドーナの去ったチームの攻撃陣を支え1996年アトランタ五輪では準優勝に大きく貢献した。しかし1998年W杯、準々決勝オランダ戦にてファンデルサールに頭付きをみまって一発退場、敗戦の戦犯ともされ更に2002年W杯でも活躍に至らずチームも予選リーグで敗退、その後フェネルバフチェでの帰国騒動から代表から遠ざかっている。 (01/10/11 Created)(08/03/14 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||