Gianluca PAGLIUCA
ジャンルカ・パリュウカ | ||||||||||||||||||
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抜群の反射神経を持ち、至近距離からのシュートにも素晴らしい反応を見せゴールマウスを死守、ハイクロスにも強く常に安定した力を発揮した元イタリア代表守護神。 1984年、生まれ故郷のチームであるボローニャへ加入したジャンルカ・パリュウカだったがデビューを果たす事なくサンプドリアへ移籍、1988年5月8日のピサ戦でセリエAデビューを果たす。88/89シーズンより不動の守護神として君臨、89/90シーズンのカップウィナーズ・カップ優勝に貢献すると翌シーズンにはチーム初となるスクデット獲得にも大きく貢献した。94/95シーズンよりインテルへ加入、低迷を続けるチームにあってもその能力の高さと存在感は言うまでもなかった。その後古巣ボローニャへ復帰、00/01シーズンより04/05シーズンまで連続試合出場を記録するなど、そのパフォーマンスも年齢を重ねる度に更に進化、04/05シーズンB降格時にも多くのオファーを蹴って1年間はA復帰のためにチームに尽くした。残念ながらこの夢は叶わずセリエAアスコリにてプレーする事が決定するが1年振りのセリエAの舞台でも、間もなく40才とは思えぬプレーでチームを牽引、2006年9月17日メッシーナ戦においてはセリエA通算571試合を達成しディノ・ゾフの保持していたGK最多出場記録を塗り替えている。P・マルディーニの最多出場記録に追い付く事は出来なかったが、それでもセリエA通算592試合という歴代2位の記録を残している。 ジャンルカ・パリュウカの代表デビューは1991年6月16日ソ連戦。1990年W杯においてゼンガの控えとしてメンバーに選出されると続く1994年W杯にはレギュラーとして出場、グループリーグ第2戦で退場となる不運もあったが、準優勝に大きく貢献した。1998年W杯ではペルッツィの控えGKとなるはずであったが、そのペルッツィの怪我もあって、全試合にフル出場しベスト8進出に貢献した。代表通算39試合。 余談だが、イタリア「不運のPK戦負け」が大きく取り上げられ、その主人公にR・バッジョが話題となるが、2大会連続でそのPK戦に挑み涙をのんだパリュウカもまた、主人公であった事を忘れてはならない・・・。また、セリエにおいて2000年3月から2007年2月まで249試合に連続出場を果たしていたが2007年2月25日リヴォルノ戦を欠場、さすがのパリュウカもインフルエンザには適わなかった。 (01/09/01 Created)(08/01/13 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||