Stuart PEARCE
スチュアート・ピアース | ||||||||||||||||||
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強烈なハードタックルを武器にイングランド国内で最も恐れられたDF。またFK、PKの名手としても知られ、DFにして数多くの得点を記録している。元イングランド代表キャプテン。 下部リーグに属するウィールドストーンでプレーしていた頃、当時コヴェントリー監督に就任したボビー・グールドによって見い出される。1983年10月、コヴェントリーと契約し21才で1部リーグデビュー、左サイドバックとして活躍し脚光を浴びる。1985年、20万ポンドでB・クラフ率いるノッティンガム・Fへ引き抜かれると、その熱いハートによって瞬く間にチームのアイドルとなり2年後にチームの主将に指名されると88/89シーズンにはクラブにとって久しぶりのタイトルとなるリーグカップ優勝に導き、翌年にも同大会で連覇を達成している。キャリアのピークとなる93/94シーズンの降格時にもチームを離れず42試合に出場、1年でのプレミア復帰に貢献し1997年までの契約をまっとうした中でリーグ通算401試合63得点を記録、ノッティンガムでのラストシーズンは中盤戦から監督も兼任している。その後は短期契約で各クラブを渡り歩いたが、キャリアの最後まで主力から外れる事はなく、1998年には王室より大英帝国五等勲爵士の名誉も授与されている。 代表デビューは1987年5月19日ブラジル戦。その後主力として地位を築き1990年ワールド杯にも出場、この大会準決勝で自身の得意とするPK戦での失敗が母国の敗退を決定させる不運を経験しているが1996年欧州選手権では準々決勝、準決勝と2試合連続でPK戦のキッカーとして成功させている。その後1998年ワールド杯へ母国を導く事に貢献するも1997年6月イタリア戦を最後に代表から遠ざかり本大会に名を列ねる事は出来なかった。その2年後1999年9月にキーガン監督の要請により代表復帰を果たし周囲を驚かせたが、その後の大怪我により2000年欧州選手権も棒に振ったのは残念であった。代表通算78試合4得点。 余談だが、ニックネームでもある自伝「サイコ」は現イングランド代表ジョ−・コールの愛読書として知られている。 (04/04/06 Created)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||