PELE

ペレ

ペレのフォト
 フルネームエドソン・アランデス・ド・
ナシメント
 国籍ブラジル
 生年月日1940年10月23日
 出身地トレス・コラソーエス
 ポジションFW
 身長・体重171cm・73kg
 個人タイトル1973年南米最優秀選手
(エル・ムンド紙)
 ワールド杯1958年優勝
1962年準優勝

1966年グループリーグ敗退
1970年優勝
所属クラブ
1953-56BAC
1957-74サントス
1975-77ニューヨーク・コスモス(米国)

テクニック、得点感覚、ドリブル、決定力等、何をとっても世界最高レベルでプレー、その偉大なる名は20世紀最高のストライカーとして人々の記憶に残りキャリアの中で築き挙げた伝説とも言える数々の記録がそれを証明する。クラブレベルにてサンパウロ州選手権にて通算10度の優勝、11度の得点王獲得、リベルタードレス杯を2度、世界クラブ選手権2度等素晴らしいタイトルの数々に貢献し、代表レベルでも歴代最多の77得点を記録、ワールド杯には4大会に出場し3度の優勝に貢献している。

ペルことエドソン・アランデス・ド・ナシメントはフルミネンセを代表するストライカー、ドンジーニョを父親に持ち父が引退後に監督を努めた地元クラブチームにてプレーを始める。その後、BACというクラブのセクションに参加し数百名の応募者の中から選出、ペレの加入もあってクラブは2年連続で地区のジュニアチャンピオンとなる。しかしクラブがジュニアチームを解体、当時BAC監督を努めていた元ブラジル代表ブリート氏はペレを表舞台に引き上げるため当時スター軍団と言われたサントスのセクションを受けさせる事となる。このセクションをあっさりと通過するとサントスの下部組織にてその才能を飛躍的に開花、まだ16才にも満たない1956年9月7日のコリンチャンス戦にてトップデビューを果たし、いきなりゴールを決めて鮮烈なデビューを飾った。その後数ヶ月でレギュラーとなり背番号10を背負うと約18年にも渡ってクラブの象徴として君臨、欧州からの数々のオファーも断りクラブの栄光にすべてを捧げた。1974年にサントスに別れを告げ、その1年後に現役復帰、2年間を北米リーグで過ごしアメリカサッカーの普及に貢献すると1977年、クラブに優勝をもたらし現役を引退した。

代表デビューは1957年7月7日アルゼンチン戦。このデビュー戦で代表初ゴールまでも記録し、その後3試合連続で得点を重ねた。ワールド杯では通算4大会14試合に出場し12得点を記録、1962年、68年大会では怪我で大きな活躍をする事は出来なかったが通算3度の優勝は歴代最多記録。1971年のユーゴ戦を最後に代表から引退し、代表通算77ゴールという偉大なる足跡を残した。(非公式試合と合わせると95ゴールを記録している)

余談だが、ペレの偉大さを物語るいくつかのエピソードを紹介しよう。1・ペレのプレーを見るためにナイジェリアとビアフラの内戦が中断、2・ペレの暴言にレッドカードを出した主審が逆に退場を命じられる。3・ユベントスがペレを引き抜こうとした際、白紙の小切手を送った。

(01/03/15 Created)(03/02/13 Last updated)
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