Luboslav PENEV
ルボスラフ・ペネフ | ||||||||||||||||||
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大柄ながら左足を中心とした優れたテクニックを持ち、得点能力、そしてアシスト能力に優れた。懐の深さを活かし前線でのボールキープから多くのチャンスを演出した元ブルガリア代表。 地元強豪CSKAソフィアにてプロデビューを果たしたルボスラフ・ペネフは19才でレギュラーに定着、翌シーズンに19得点を挙げリーグ優勝に貢献すると87/88シーズンには21得点を記録、この活躍から1988年ブルガリア最優秀選手に選出された。88/89シーズンにも自身2度目のリーグ優勝に貢献し迎えた89/90シーズン、序盤戦で6試合12得点を挙げる活躍を見せていたがスペイン強豪バレンシアへ移籍、ここでも加入シーズンから13得点を挙げ不動の地位を確立させたのである。92/93シーズンには20得点を記録し、スペインリーグを代表するFWとして君臨したが、その後睾丸の癌が発覚、治療に専念するため引退を表明する。しかし、再びプレーする事への強い意志から癌を克服しカムバック、94/95シーズンにはレギュラーの座を奪い返すまでに回復すると翌シーズンに加入したA・マドリードではチームトップスコアラーとなる17得点を記録、76/77シーズン以来のリーグ優勝に加え国内カップとの2冠に大きな役割を果たしたのである。98/99シーズン、セルタでもレギュラーとして14得点を挙げる活躍を見せたがシーズン終了後に電撃引退、自身を育ててくれたCSKAソフィアの会長に就任し、低迷を続けるクラブの立て直しに力を注ぐ事を決めた。また、2001年には会長兼任プレーヤーとして再びピッチに立ちプレーしている。 代表デビューは1987年5月20日ルクセンブルク戦。1993年11月17日、フランス国民を奈落の底に突き落としたパリの悲劇ではフル出場を果たし、W杯出場権獲得に大きな役割を果たしたが先にも述べた癌の治療から本大会への夢は断たれ、この大会でストイチコフを中心にベスト4へと大躍進を遂げたメンバーに名を列ねる事は出来なかった。この大会にペネフが出場していたなら、更なる名声を得ていたと思われるだけに残念な所である。それでも1998年W杯にはメンバーに選出され全3試合に出場、グループリーグ敗退に終わったが、自身の夢であった舞台でプレーした。代表通算63試合13得点。 余談だが、1994年W杯にてブルガリアを率いた名将ディミタール・ペネフの甥である。 (03/11/06 Created)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||