JOAO PINTO

ジョアン・ピント

ジョアン・ピントのフォト
 フルネームジョアン・ヴィエイラ・マヌエル・
ピント
 国籍ポルトガル
 生年月日1971年8月19日
 出身地ポルト
 ポジションMF・FW
 身長・体重171cm・62kg
 個人タイトルなし
 ワールド杯2002年グループリーグ敗退
所属クラブ
1988-90ボアビスタ
1990-91アトレティコ・マドリード(スペイン)
1991-92ボアビスタ
1992-00ベンフィカ
2000-04スポルティング・リスボン
2004-06ボアビスタ
2006-SCブラガ

パス、ドリブルの能力は言うまでもなく、ボールがない所ところでも素晴らしい動きを見せ1、5列目からの飛び出しのセンスは目を見張るものがある。チャンスメーカーとして長きに渡って代表の中核として活躍、海外クラブでの活躍がないためフィーゴ、ルイコスタほど名声は得られてはいないがポルトガル・サッカー界が世界に誇る“ゴールデン・エイジ“の一人であり、ポルトガルにとどまった唯一のスーパースターでもある。

ワールドユースでポルトガルを1989、91年と2連覇に導いた主力メンバーの一人であり、ワールドユースのタイトルを2度獲得した事のある唯一の選手。最初で最後の海外移籍となるアトレティコ・マドリードではホームシックが原因で失意のままにポルトガルへ帰国するが母国復帰後は目覚ましい活躍を見せ1992年から3年連続してポルトガル最優秀選手賞に輝くなど母国のアイドルとして君臨、1991年10月のルクセンブルク戦にてフル代表デビューも果たした。その後も数多くの海外クラブからオファーが殺到するがポルトガルを離れる事を拒否、2000年欧州選手権後にベンフィカを解雇された後も母国のライバルチーム、スポルティング・リスボンへ移籍し01/02シーズンのリーグ優勝に貢献している。

2002年ワールド杯欧州予選では8試合に出場3得点を記録、本大会出場権獲得に貢献したが、迎えた本大会グループリーグ第3戦韓国戦にて危険なタックルにより一発退場、更にこの試合で主審を努めたサンチェス氏に暴力を振るい数ヶ月の出場停止処分を与えられている。チームも予選リーグで敗退し、ジョアン・ピント自身にとっては思い出したくもない大会となってしまった。この試合を最後に代表を退き通算81試合23得点の記録を残している。

(01/12/18 Created)(07/02/15 Last updated)
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