David PIZARRO
ダビド・ピサーロ | ||||||||||||||||||
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小柄な身体をハンディとしない天性のサッカーセンスを備えており、鋭い戦術眼と広い視野から両足の正確なパスによってゲームを組み立て、その能力はセリエAにおいても屈指の実力と言われるまでに成長を遂げた。チリ代表MF。 首都サンティアゴの港町ヴァルパライソで生まれ育ったダビド・ピサーロは9才で地元最大のクラブチームであるワンダラーズの入団テストに合格、当初はFWとしてプレーしていたが、その高いパス能力を買われてMFへコンバートされる。17才の時トップデビューを果たすと2シーズン通算41試合に出場、瞬く間にチームの主力へと上りつめ、当時無名の南米選手獲得に力を入れていたウディネーゼへと引き抜かれる事となる。99/00シーズン開幕となった1999年8月29日ヴェネチア戦にてセリエAデビューを果たしたが、当時チームを率いたディ・カーニオ監督の元ではジャンニケッダ、フィオーレ等の控えに甘んじ不遇な時を過ごすと2001年1月には母国クラブへレンタル移籍という挫折を経験する事となった。約6ケ月後にセリエAの舞台に戻り、新指揮官にロイ・ホジソンが就任した事がピサーロにとっての転機となった。ホジソンはピサーロの持ち合わせる才能を高く評価、チームの中心に据える事でチームを構成したのである。結果的にチームの成績は良いものではなく、ホジソンもシーズン途中解任となってしまったが、ピサーロの高い能力はイタリア国内中に認知され更に、02/03シーズン監督に就任したスパレッティの元ではトップ下から更にポジションを下げ、レジスタとして新境地を開く事に成功、チームのUEFAカップ出場権獲得に貢献しセリエA屈指のゲームメーカーという地位を確立させたのである。シーズン終了後、ビッグクラブへの移籍は確実視されていたが一転残留、これはウディネーゼにとって、どんな補強よりも最大の「補強」であったのは言うまでもないだろう。(この移籍問題から生じたウディネーゼとの契約延長にピサロ側が延長を拒否したため、開幕後しばらくは試合から遠ざかったが、その後2004年1月にこの問題を解消、2年間の契約延長にサインした後再びピッチに戻り素晴らしいプレーを見せている。)ウディネーゼでのラストシーズンには34試合に出場しチームにとって初となるチャンピオンズ・リーグ出場権獲得の快挙に貢献、これを置き土産にウディネーゼを離れインテルに加入するとコパ・イタリアのタイトルを獲得した。06/07シーズン、前季よりローマの監督に就任していたスパレッティの要請を受けローマへ移っている。 代表としては1999年1月アルゼンチンで開催されたUー20南米大会での活躍から1999年2月17日グアテマラ戦にてフル代表デビュー、2000年シドニー五輪では母国の銅メダルに大きな役割を果たしている。残念なのはチリ代表が現在低迷期にあり、2002年、2006年とワールド杯出場を逃している事、何とか2010年にはその姿をワールド杯の舞台で見たいところなのだが・・ 余談だが、ダビド・ピサーロは「征服者」の異名を持っており、これは16世紀初頭にアステカ帝国を支配したコルテス、インカ帝国を制圧したピサーロの両方の性を持ち合わせている事かららしい・・・。 (03/09/17 Created)(07/03/02 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||