Michel PLATINI
ミシェル・プラティニ | ||||||||||||||||||
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70年代から80年代にかけ素晴らしいプレーで人々を魅了したファンタジスタ。将軍の異名を持ち、そのテクニックから成るゲームメイクはもちろんの事、得点能力にもズバ抜けた才能を発揮しフランス歴代最多得点となる41ゴールは今尚破られていない。常に期待を裏切らないプレーを見せたフランスサッカーの元祖代名詞的存在である。 イタリア人の祖父を持つミシェル・プラティニはフランスロレーヌ地方ムルト・エ・モゼルの町ジョフにて生まれる。サッカープレーヤーであった父親アルドに技術を学ぶと同時に地元の小クラブASジェフでのプレーが認められ72/73シーズンにナンシーへ加入、1973年5月3日ニーム戦にてディビジョン1デビューを果たした。翌シーズンまでは若かった事もあって思うような出場機会に恵まれずにいたが74/75シーズンにチームがディビジョン2に降格した事で多くの出場機会を得る事となり、32試合17得点で1年でのディビジョン1復帰に貢献、その後ここで1978年までプレーし77/78シーズンには国内カップ優勝を成し遂げプラティニ自身初のタイトルを獲得している。1979年より加入したサンテティエンヌでは3シーズン通算107試合58ゴールと、ズバ抜けた才能を見せると80/81シーズンにはリーグ優勝、この頃にはフランス国内は元より欧州中が注目する存在となった。1982年、ユベントスへ引き抜かれるとプラティニの輝きは更に加速、2度のスクデット、1度のチャンピオンズ・カップなど数々のタイトルに貢献、更に82/83シーズンより3年連続のリーグ得点王にも輝き同様に3年連続のバロン・ドールにも選出されるという偉業を達成させた。しかし、84/85シーズンチャンピオンズ・カップ決勝にて起こった惨劇「ヘイゼルの悲劇」はプラティニ自身の心に大きな傷を残しこの2年後、32才という若さで現役を引退している。 代表デビューは1976年3月27日チェコスロバキア戦。この試合で得意のFKから代表初得点までも記録するとその後は言うまでもなくチームの絶対的存在として君臨し1979年からは引退するまで主将を務めた。ワールド杯のタイトルこそ手中にする事は出来なかったが1984年欧州選手権では8得点を挙げ得点王獲得と同時にフランスに初のビッグタイトルをもたらしている。代表通算72キャップ41得点。(主将として46試合)。 #ヘイゼルの悲劇=84/85シーズンチャンピオンズ・カップ決勝ユベントス対リバプール、試合開始前、暴徒と化したリバプールサポーターがユベントスサポーターが陣取るスタンドに傾れ込んだ結果死者38人負傷者300人以上の大惨事となった。また、プラティニを含む多くの選手が試合延期を望んだが、試合は行われ、唯一の得点となるPKをプラティニが沈めユベントスは大会初優勝を遂げる。 (01/03/15 Created)(06/10/05 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||