Fernando REDONDO
フェルナンド・レドンド | ||||||||||||||||||
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エレガントを漂わせる華麗なプレースタイルを持ちながら中盤でのディフェンス能力は相手攻撃時のチャンスを確実に潰した。ルックスも抜群であり「エル・プリンシペ(王子)」の異名を持つアルゼンチンを代表する世界屈指のMFであった。 10才の頃にアルヘンチノス・ジュニアーズに入団したフェルナンド・レドンドは1985年9月29日ヒムナシア戦にて16才でトップリーグデビュー。3シーズンを過ごした後、スペインリーグのテネリフェへ移籍、シーズン開幕戦となった1990年9月2日A・ビルバオ戦にてスペインリーグデビューを果たすが、ここでアルゼンチン人監督ヴァルダーノの指導の元、その能力を大きく開花させ94/95シーズンより世界屈指の名門レアル・マドリードへ加入、ここでもすぐにレギュラーとして活躍し、このシーズンのリーグ優勝に大きく貢献する。96/97シーズンにもリーグ優勝に貢献すると97/98シーズンにはチーム32年振りとなるチャンピオンズ・リーグ制覇を果たす。さらに99/00シーズンのチャンピオンズリーグをも制し、この大会のUEFA最優秀選手に選出された。その後ペレス会長との関係が悪化したためミランへ移籍するも加入直後の怪我によって長期に渡る戦線離脱を強いられた。移籍から約2年をリハビリに費やした後2002年12月7日ローマ戦にて観客の喝采の中セリエAデビューを果たし2003年3月12日に行われたチャンピオンズリーグ2次リーグ古巣レアルマドリード戦にも出場し、アウェイながらレアルファンから大声援が送られている。 アルゼンチン代表としても若い頃からその能力は期待されていたが当時の代表監督ビラルドの方針に馴染めず1990年W杯を辞退。監督交代後に召集に応じ1992年コンフェデレーションズ・カップ初戦コートジボワール戦(1992年10月16日)でデビューを果たすと、この大会優勝に貢献、更に1993年コパ・アメリカ優勝、そして1994年W杯にも出場を果たした。しかし1998年W杯は再び監督と衝突(パサレラ監督)、その姿がフランスのピッチに立つ事はなかった。その後監督に就任したビエルサの召集には応じ、レドンド自身も2002年W杯出場を目標としていたがミラン移籍後の大怪我から、長期に渡ってプレー出来ず、結局は本大会出場を断念、その姿が日本で見れなかったのは本当に残念な所であった。 (01/10/05 Created)(05/03/02 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||