Juan RIQUELME

ファン・リケルメ

ファン・リケルメのフォト
 フルネームファン・ロマン・リケルメ
 国籍アルゼンチン
 生年月日1978年6月24日
 出身地ブエノスアイレス
 ポジションMF
 身長・体重182cm・75kg
 個人タイトル2001年南米最優秀選手
(エル・パイース紙)
 ワールド杯2006年ベスト8
所属クラブ
1996-02ボカ・ジュニアーズ
2002-03バルセロナ(スペイン)
2003-07ビジャレアル(スペイン)
2007ボカ・ジュニアーズ
2007-08ビジャレアル(スペイン)
2007-ボカ・ジュニアーズ

華麗なボールコントロールからの決定的なスルーパス、典型的な司令塔タイプのプレーヤーであり、アルゼンチン代表の中核を担った名手の一人。

1996年9月にアルヘンチノス・ジュニアーズからボカへ加入したリケルメは同年11月10日サンタフェ戦にてリーグデビューを果たし弱冠18才ながら抜群のテクニックとセンスによってチームの中心として活躍、通算3度のリーグ優勝に貢献し2000年、2001年のリベルタ・ドーレス杯連覇もリケルメなくして成し得なかったであろう。2000年トヨタ・カップレアル・マドリード戦にてリケルメからのロングパスによってパレルモの2点目が演出され勝利に貢献、翌年こそバイエルンの前に敗れたが、その存在感は抜群であった。欧州1年目となったバルセロナでは馴染めず活躍するには至らなかったがその後レンタルにて移籍する事となったビジャレアルにてボカ時代に見せたパフォーマンスを復活させる。加入シーズンにUEFAカップでベスト4に進出すると翌シーズンにはリーグ3位に導きチャンピオンズ・リーグ出場権利獲得に貢献、この活躍によりビジャレアルに完全移籍を果たす。迎えた05/06シーズンチャンピオンズ・リーグではインテル等を破りベスト4進出に貢献、準決勝アーセナル戦セカンドレグにて試合終了間際の重要なPKを外す不運もあったが、この失敗を責める者など誰もいないだろう。わずか4万人の町の小さなクラブが欧州ビッグクラブと対等に戦えたのはリケルメの存在あっての事だと、誰もが認めていたのだから・・。

わずか3シーズンの間にビジャレアルの王様となったリケルメであったが06/07シーズン途中、監督であるペジェグリーニとの確執が表面化し1ー4で敗れた第16節オサスナ戦以降出場機会を失ってしまう。監督との間にどのような問題が勃発したのかは定かではないが、2007年2月、古巣ボカへ6ヶ月のレンタルという形で欧州を後にした。06/07シーズン後期リーグ第2節ロサリオ・セントラル戦にて母国リーグ復帰を果たすと4年振りのリベルタ・ドーレス杯優勝に貢献、レンタル期間が終わり一旦はビジャレアルに戻ったが相変わらず戦力外であった事で完全移籍という形でボカへ戻った。

代表としては1997年に行われた南米ユース大会で優勝に貢献するとマレーシアで開催されたワールドユースでも活躍、その後世界的スターとなるアイマールやサムエル等と共に完璧なチームを構成しリケルメ自身も4試合連続得点を記録するなどアルゼンチンユース3度目となる世界チャンピオンのタイトルを獲得した。1998年W杯では代表候補に名を列ねその才能に期待されたが結局選出されず、その後の1999年6月リトアニア戦でデビューを果たした。中盤に豊富な人材を擁する代表においてレギュラーに定着する事が出来ず2002年W杯でもメンバーに選出されなかったが、代表監督がユース時代の恩師ペケルマンとなってからようやく代表に定着する。2006年W杯では全試合に出場しまずまずのパフォーマンスを見せたが優勝候補筆頭に挙げられたチームはベスト8で敗退、この事で国内から批判を浴びた結果「代表での批判が家族の健康状態を損ねる」との理由で代表引退を表明した。その後監督の要請もあり翌2007年6月、代表復帰を果たしている。

(01/08/10 Created)(08/01/13 Last updated)
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