RIVELINO

リベリーノ

リベリーノのフォト
 フルネームロベルト・リベリーノ
 国籍ブラジル
 生年月日1946年1月1日
 出身地サンパウロ
 ポジションMF
 身長・体重169cm・73kg
 個人タイトルなし
 ワールド杯1970年優勝
1974年ベスト4
1978年3位
所属クラブ
1965-74コリンチャンス
1975-78フルミネンセ
1979-81アル・ヒラル(サウジアラビア)

「左足の魔術師」の異名通りそのほとんどを左足一本でプレー、誰にも真似出来ない独自のフェイントを加えたドリブルから鋭いパスを繰り出した。創造力、得点力にも優れており、その能力はペレの後を継いでブラジル代表「10番」を背負うに相応しいものであった。

1963年ブラジル名門コリンチャンスとプロ契約を果たし1965年にトップデビューを果たす。以後不動の地位を確立するもペレ率いるサントス黄金期にあって在籍10年もの間タイトルには恵まれなかった。1975年にフルミネンセへ移籍、この年の州選手権優勝に貢献すると、その後1976年、77年と通算3度の州選手権優勝を果たした。キャリアの最後はサウジアラビア強豪アル・ヒラルで過ごしここでも国内タイトルに貢献している。

クラブレベルでは大きな功績を残したとは言えないが、その能力はブラジル代表にて発揮され世界的な成功を収めている。1965年11月15日サンパウロで行われたハンガリー戦、A・モレイラ監督の元で代表デビューを飾るが、その後指揮官に就任したアントニーニョ監督の元では1試合の出場もならなかった。1968年、新指揮官に就任したザガロ監督初采配となった1968年6月9日ウルグアイ戦にて約2年半振りの代表復帰、同年6月20日ポーランド戦では初得点も記録し、その地位を確立させる。1970年W杯、5試合にフル出場3得点を挙げる活躍を見せ優勝に貢献、1974年W杯では4位に終わったが全7試合にフル出場し2次リーグ初戦東ドイツ戦での決勝FK弾は今尚伝説として語られている。1978年W杯ではジーコ等若手の台頭もありレギュラーではなかったが、それでも3試合に出場しW杯通算15試合6得点の記録を残している。公式試合通算94試合26得点、非公式を含めると121試合43得点、歴代ブラジル代表においても輝かしい記録である。現役引退後は1984年より1994年までブラジルマスターリーグでプレー、その後1994年より清水エスパルスの監督に就任した事でも知られる。

余談だが、1971年より始まったエル・ムンド紙が選出する南米最優秀選手賞には選出されていないが、1973年、76年に3位選出、1977年にはジーコに次ぐ2位に選出されている。

(01/03/15 Created)(03/11/30 Last updated)
Presented by SHOW

football Island
FOOTBALL ISLANDバナー