Manuel RUI COSTA

マヌエル・ルイ・コスタ

マヌエル・ルイ・コスタのフォト
 フルネームルイ・マヌエル・セザール・コスタ
 国籍ポルトガル
 生年月日1972年3月29日
 出身地リスボン
 ポジションMF
 身長・体重180cm・74kg
 個人タイトルなし
 ワールド杯2002年グループリーグ敗退
所属クラブ
1990-91ファフェ
1991-94ベンフィカ
1994-01フィオレンティーナ(イタリア)
2001-06ミラン(イタリア)
2006-08ベンフィカ

世界でも屈指のテクニックを擁し素晴らしいスルーパスからのチャンスメイク、暖急を織り交ぜた華麗なドリブルで切れ込み自らゴールも狙った元ポルトガル代表ファンタジスタ。フィオレンティーナ時代のバティストゥータとのコンビで世界的地位を確立させ代表レベルではゴールデンエイジの1人として長期に渡ってチームを牽引した。

マヌエル・ルイ・コスタは地元3部のファフェを経て加入したポルトガル名門ベンフィカにて名をあげ、93/94シーズンのリーグ優勝に大きく貢献してセリエAフィオレンティーナへ移籍する。1994年9月11日ジェノア戦にてセリエAデビューを果たしここでバティとのコンビを確立、獲得したタイトルは95/96、00/01シーズンと2度のコパ・イタリア優勝に終わるも、数々のゴールを演出しファンタジスタと言うに相応しい活躍を見せ続けた。00/01シーズン、チームの低迷と同時に財政難が公になり、本人の希望もあってミランへ移籍する。誰もが認めるテクニックは、ようやくミランにて大成するかと思われたが加入後怪我で出遅れれ、復帰後も孤立する場面が多々見られるようになる。結果的にシーズン通算22試合の出場に終わり、得点に至っては1得点も挙げられずシーズンを終えるというスランプに陥る。翌シーズンには序所に調子を戻し、クラブもチャンピオンズ・リーグ、コパ・イタリアの2冠を達成、フィオレンティーナ時代のパフォーマンスと比べれば衰えは明らかであり、カカの台頭も重なってポジションを失うも限られたプレー時間で重要な仕事をこなした他、出場機会のない試合では腐る事なくベンチからチームメートを鼓舞し03/04シーズン自身初のスクデットを手に入れた。05/06シーズンを最後にチームを去り古巣ベンフィカへ復帰、その姿がイタリアで見れなくなるのは寂しい限りだが、その素晴らしい技術はファンの心に十分焼き付いた事だろう。

ポルトガル代表にて1991年のワールドユース優勝に貢献、その存在を世界に知らしめた後1993年3月31日スイス戦にフル代表デビューを果たす。その後フィーゴ等と共にチームを牽引するが大きな国際舞台で常に優勝候補に上げられながらタイトルを手に出来なかったのは残念な所、自身初となった2002年のW杯では、まさかのグループリーグ敗退を屈し母国開催となった2004年欧州選手権では途中出場ながら素晴らしいプレーを見せるも後一歩の所でタイトルを逃している。大会終了後代表引退を表明、通算94試合26得点は賞賛に値するだろう。

(01/03/15 Created)(08/05/14 Last updated)
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