Ian RUSH
イアン・ラッシュ | ||||||||||||||||||||
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氷のような冷静さとカミソリのように鋭い直感を併せ持ちシンプルなダイレクトシュートでゴールを量産したウェールズ史上最高のストライカー。15年間所属したリバプールでは素晴らしい得点能力を発揮し、70年代より続くリバプール黄金期は、イアン・ラッシュの活躍により80年代末まで続くこととなる。 北ウェールズのセントアサフで生まれ、エバートンファンとして育つ。17歳の時チェスター・シティでトップデビューを果たすと翌シーズンには33試合14得点を記録。その活躍が認められ1980年、当時10代の選手としては最高額の30万ポンドでリバプールへ移籍する。リバプールに移籍した彼はその才能を一気に開花させ、在籍2年目の81/82シーズンには17得点を挙げリーグ制覇に貢献、その後リバプールは彼の活躍によりリーグ3連覇を達成する事となる。3連覇目となる83/84シーズンには彼自身、32得点を記録しリーグ得点王を獲得、その年のプレミアリーグ年間最優秀選手に選出されると欧州得点王となるゴールデンブーツ賞をも受賞し、同年のチャンピオンズカップをも制覇した。 その後も3シーズンで66得点と驚異的な活躍を続ける彼に1987年、ユベントスが320万ポンドのオファーを出すとクラブはそれを受け入れる。しかしユベントスでは29試合7得点と不本意な成績に終わり、わずか1年でリバプールに復帰をする。復帰後は再び輝きを取り戻し89/90シーズンには4シーズンぶりのリーグ制覇を成し遂げるとともに様々な記録を樹立した。20世紀レコードとなるFAカップ44得点はそれまでの記録保持者デニス・ローを上回り、皮肉にも少年時代大ファンだったエヴァートンを相手に25得点と、マージーサイドダービーにおける最多得点記録も樹立。ワージントンカップでは史上初めてワージントンカップを5回獲得した選手となり、ジョフ・ハーストと並ぶ49得点を記録した。 90年代後半に入りR・ファウラーの台頭によりリヴァプールでの居場所を失うとトップでのプレーにこだわるラッシュはリーズに移籍。慣れないMFとしての役割を見事にこなすがゴールの喜びを忘れられないラッシュはニューカッスル、シェフィールド・U、レクサムとチームを渡り歩く。最後はオーストラリアに渡り、そこで3週間の契約を全うさせ現役を引退した。 代表デビューは1980年5月21日のスコットランド戦。通算73試合に出場、ウェールズ代表歴代最多得点となる28ゴールを決めるもウェールズは国際トーナメントに出場することは出来ず、ラッシュの夢であったW杯出場も果たすことは叶わなかった。引退後は英国とオーストラリアで「Ian Rush Finishing School」を開校、少年たちに自分が体験した最高の瞬間を伝えるべく、日々点の取り方を教えている。いつもわずかなチャンスを追い求め、熱心にボールを追い、時にはディフェンスの最終ラインまで下がることもしばしば、勝つための執念を決して無くすことのないラッシュは現代では珍しくなってしまったストライカーであった。 (01/03/15 Created)(03/04/23 Last updated)Presented by SHOW , collaboration is LEVEL-K football Island | ||||||||||||||||||||