Juan Alberto SCHIAFFINO

ファン・アルベルト・スキアフィーノ

ファン・アルベルト・スキアフィーノのフォト
 フルネームファン・アルベルト・スキアフィーノ
 国籍ウルグアイ・イタリア
 生年月日1925年7月28日
 出身地モンテビデオ
 ポジションMF・FW
 身長・体重175cm・69kg
 個人タイトルなし
 ワールド杯1950年優勝
1954年ベスト4
所属クラブ
1943-54ペニャロール
1954-60ミラン(イタリア)
1960-62ローマ(イタリア)

優れた瞬発力と洗練されたテクニックは歴代ウルグアイ代表選手の中においても史上最高と称される。気が強く、その性格が災いしチームメートと衝突する事も多々見られたが、その気の強さこそが、ピッチ上での大きな武器であったのは間違いないと思われる。愛称「ペペ(胡椒)」

イタリア移民の子としてウルグアイに生まれ兄の影響でサッカーを始めるとウルグアイ名門ペニャロールの育成機関で技術に磨きをかける。18才でトップチームへ引き上げられると瞬く間に注目を集めるようになり周囲の期待に応えるように通算6度のリーグ優勝に貢献する事となる。1945年7月18日アルゼンチン戦にて代表デビューを飾るとここでもすぐに不動の地位を確立、当時代表のエースであった兄ラウルをも凌ぐ存在になるのに時間はかからなかった。1950年ワールド杯では初戦ボリビア戦にて4得点を記録すると事実上の決勝戦となったブラジル戦では劣勢の中で同点弾を記録、この得点で勢いにのったウルグアイが、この大会の優勝を遂げている。ワールド杯での活躍は欧州ビッグクラブの目にも止まったが、当時の国内世論がこれを許さず、欧州にてプレーする事が許されるのに4年もの歳月を費やす。20万ドルという当時としては破格の移籍金でミランへ引き抜かれたのは間もなく30才を迎える年齢であったが、そのプレーに陰りはなく加入シーズンにセリエA27試合に出場し15得点を記録、リーグ制覇の原動力となって活躍し、以後通算3度のリーグ制覇を達成している。また、57/58シーズンチャンピオンズ・カップでは決勝に進出、相手は世界最強の名を欲しいままにしていたR・マドリードであった事からディスティファノ対スキアフィーノという夢の対戦に、会場は超満員に膨れ上がる。貴重な先制弾はスキアフィーノが叩き出し、同点弾はディスティファノ、見る者の期待通りの試合展開であったが、延長の末栄冠を手中にしたのはディスティファノであった・・。59/60シーズンを最後にミランを離れローマへ移籍、ここではリベロとしてもプレーし61/62シーズンを最後に現役を引退した。

ウルグアイ代表として25試合11得点を記録しているがセリエAへ移った後、イタリア代表としてもプレー、1954年12月5日アルゼンチン戦にてイタリア初キャップを刻みその後通算4試合に出場している。

(04/02/19 Created)
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