Bernd SCHUSTER

ベルント・シュスター

ベルント・シュスターのフォト
 フルネームベルナート・シュスター
 国籍ドイツ(西ドイツ)
 生年月日1959年12月22日
 出身地アウグスブルグ
 ポジションMF
 身長・体重183cm・81kg
 個人タイトル1980年欧州最優秀選手投票2位
1981年欧州最優秀選手投票3位
1985年欧州最優秀選手投票3位
(F・F誌)
 ワールド杯なし
所属クラブ
1976-78FCアウグスブルグ・E・V
1978-811FCケルン
1980-88バルセロナ(スペイン)
1988-90レアル・マドリード(スペイン)
1990-93アトレティコ・マドリード(スペイン)
1993-96バイヤー・レバークーゼン
1997UNAM(メキシコ)

80年代、金髪をなびかせ華麗なゲームメークで観客を魅了したのが「ブロンドエンジェル(金髪の天使)」ことベルント・シュスターである。西ドイツ代表では、1980年欧州選手権優勝に貢献しながら、その後の起用方に不満を持ちピッチに立つ事を拒んだが、クラブレベルにおいて絶大な存在感を示し歴史に名を刻んでいる。

ミュンヘンから北西の都市アウグスブルグに生まれ、少年時代は家から近い地元SVハメルシュミーデ・アウグスブルグに所属する傍らアイスホッケーにも夢中になる少年であった。16才の時アウグスブルグ最大のクラブでもあるFCアウグスブルグに加入、ここのユースチームでキャプテンとしてプレーし、この頃にはUー18西ドイツ代表でも主力としてプレーしている。ここでの活躍もあり数多くのクラブが獲得に動いた結果、1FCケルンとボルシアMGとの2重契約で世間を騒がせている。この問題を解決し無事1FCケルンとの契約を果たすと1978年10月21日フランクフルト戦にてリーグデビュー、以後主力として活躍する。翌年1979年5月22日アイルランド戦ではフル代表デビューも飾り1980年欧州選手権では非の打ちどころのないプレーでピッチを支配し母国の優勝に貢献、ドイツ最優秀若手選手賞を受賞した他バロンド−ル投票では2位に選出されるなど欧州で有数のプレーヤーへ成長していくのである。1980年、当時としては破格となる4000万ペセタにてスペイン強豪バルセロナへ移籍、すぐにチームの主軸となり80/01国内カップ、81/82カップ・ウィナーズカップ、84/85リーグ優勝等多くのタイトルに貢献、1985年にはリーグ最優秀選手にも選出されている。85/86シーズンにはチャンピオンズ・カップ決勝の舞台に立ったが0ー0で迎えた試合終了間際、ベンチに下げられるという采配に納得がいかず試合終了を待たず自費で自宅へ帰宅、試合はPK戦までもつれた末相手GKドゥカダムの奇跡の4連続セーブによって敗れ、欧州チャンピオンの称号は逃している。その後フロント陣との確執により移籍したレアル・マドリードではリーグ連覇、アトレティコ・マドリードでも国内カップ連覇等のタイトルに多大なる貢献を見せその才能を発揮した後1993年より母国へ復帰、レバーク−ゼンの国内カップ優勝に貢献し1994年のリーグベスト11に名を列ねている。1996年の退団後はサンノゼ・クラッシュ(アメリカ)、フィテッセ(オランダ)等のクラブキャンプに参加し、1997年メキシコにてキャリアに終止符を打った。

1980年欧州選手権以後は代表に興味を示さなかったのには理由がある。1979年5月22日アイルランド戦でのデビュー以来出場する試合すべて勝利していたが、1981年1月に開催されたコパ・デ・オロ大会にてブラジル、アルゼンチンに大敗、2試合とも自身は出場していなかったものの、この敗戦により代表監督であったデアバルは1975年以来代表を離れていたブライトナーの代表復帰を選択する。そして1981年5月19日、再び訪れたブラジル戦においてブライトナーは2本のPKを外しチームは1ー2の逆転負け、ブラジル戦2連敗を屈する。この試合前半1ー0で勝っている場面でで交代を告げられたシュスターの怒りはPKを外したブライトナー、そしてブライトナーを選んだデアバルへと向けられたのである。翌年、ブライトナーが代表を去った後、代表復帰は果たしたが代表に対する愛情はすでに持てず、その後代表監督に就任したベッケンバウアーの説得にも応じる事なくキャリアのピークで迎えた1986年W杯、1990年共にW杯でプレーせず、代表通算21試合4得点とその能力に見合う記録は残していない。1982年W杯から3大会連続して決勝に進んだ西ドイツ代表であったが栄冠を手中にしたのは1990年1回のみ、もしシュスターがいたなら3大会連続の優勝もあったのかもしれない・・・もちろん、その逆も考えられるが、そのプレーを知るほとんどの人々が「シュスターがいたなら・・」そう思ったのではないだろうか・・。

余談だが、生まれついての天才とうたわれているが、シュスターの練習量は回りの選手の何倍もあり、真の努力家であったと当時のコーチが語っている。

(05/04/02 Created)
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