Gaetano SCIREA
ガエタノ・シレア | ||||||||||||||||||
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あのバレージが越えることの出来なかったイタリア史上最高のリベロがガエタノ・シレアである。穏やかで謙虚であり、紳士的な性格から人望も厚く、敵味方問わず万人に愛された。また、ピッチの中でもその性格は変わらず686試合にも及ぶ現役生活において一度もレッドカードを受けたことが無い。 アタランタでMFとしてキャリアをスタートさせると1972年9月24日、19歳でカリアリ戦にてセリエAデビューを果たす。デビューシーズンから20試合に出場するとリベロとして自分のポジションを確立、1974年には名門ユベントスに引き抜かれる。コパイタリア、ヴァレーゼ戦でデビューを飾るとその後リーグ戦でも欠かせない存在となりほとんどの試合に出場、この年のリーグ制覇の立役者となる。その後もレギュラーとして出場し続け引退まで実に552試合に出場、チームの歴代最多出場記録を現在も保持している。ユベントスではリーグで7度のスクデットを獲得、欧州でもUEFAカップ(76/77)、カップウィナーズカップ(83/84)、欧州スーパーカップ(1984)、チャンピオンズカップ(84/85)、トヨタカップ(1985)と欧州の主要な5つのトロフィー全てを手中にした初の選手となった。(84/85チャンピオンズカップ決勝のリヴァプール戦では試合開始1時間前にヘイゼルの悲劇と呼ばれる暴動が起こり、シレアはキャプテンとして群集に対しスピーチを行い騒ぎの沈静化を求めた。) 代表では1974年9月29日Uー23で国際デビューを飾るとすぐに当時の代表監督エンツォ・ベアルツォットの目にとまり、翌年12月30日ギリシャ戦で22歳にしてファケッティの後継ぎとしてA代表デビューを飾る。以後11年間プレーし、78試合2得点を記録。10試合でキャプテンを務めチームを牽引、1982年ワールドカップでは優勝。また1978年ワールドカップ4位、1980年欧州選手権4位、1986年ワールドカップベスト16と数々の記録を残し、同年6月17日に代表を引退した。 87/88シーズンを最後に現役を引退、その後は盟友ディノ・ゾフの依頼を受けユベントスのアシスタントコーチに就任、彼の第2の人生が始まるはずだった。しかし就任してわずか1年3ヵ月後の1989年9月3日、次のユベントスのUEFAカップでの相手G・サブジェ(ポーランド)の視察を終え、空港に向かう途中、石油トラクターと衝突、36歳であまりにも早すぎる死を迎えた。1990年、新しくできたユベントスのホームスタジアム、スタジオ・デッレ・アルピには”クルヴァ・ガエタノ・シレア”と呼ばれるサポーター席が設けられ、今でもユベントスを見守っている。 (01/03/15 Created)(03/04/07 Last updated)Presented by SHOW , collaboration is LEVEL-K football Island | ||||||||||||||||||