Allan SIMONSEN
アラン・シモンセン | ||||||||||||||||||
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「小さな巨人」の異名で知られ、小柄ながら凄まじい瞬発力とドリブルを擁してボルシアMG第2期黄金時代を築いたデンマークウィングプレーヤー。ボルシアMG在籍時にUEFAカップを2回、ブンデスリ−ガ3連覇など数々のタイトルを獲得して1977年にはバロンド−ルにも選出されている。 サッカー選手であった父親の影響から地元バイレにあるスポーツクラブにて本格的にサッカーを始めたシモンセン。本来ここでは7才からの入団が規則であったが、その類稀な才能はこの時すでに片鱗を見せており5才での入団が認められている。18才でトップ昇格するが当時デンマークにはプロチームは存在しておらず海外でプロキャリアをスタートさせる事を志すと、20才の時にベルギーのアンデルレヒトや西ドイツのハンブルガーSV等からのオファーを受ける。シモンセンが選んだのはボルシアMG、18才の時にもラブコールを受けた事もあるがこの時はシモンセン自身の教育過程が終了していなかったために断念したクラブである。1973年1月27日、ハンブルガーSV戦においてプロデビューを果たし74/75シーズンよりレギュラーに定着、ゴールを量産するばかりかチャンスメーカーとしても絶大な存在感を示し、このシーズンから始まるリーグ3連覇を始め2度のUEFAカップ優勝に貢献する働きを見せた。76/77チャンピオンズ・カップではチームを決勝に導き、この年のバロンド−ルに選出された最大の要因となったが、リバプールとの決勝の舞台では一時は同点となる得点を記録しながらその後の失点から欧州の頂点には立てず、翌シーズン同大会では5得点を挙げ大会得点王となったものの準決勝にて再びリバプールに敗れている。79/80シーズンよりバルセロナにて活躍しカップ・ウィナーズカップ制覇に貢献、その後イングランドを経て、キャリアの最後は自身を育ててくれたバイレBKにて母国サッカーリーグ発展のためにプレーした。 シモンセンの代表デビューは1972年7月3日アイスランド戦。同年ミュンヘン五輪ではブラジルを破る2つの得点を挙げ注目を浴びるが当時デンマークにはまだタレントが揃っておらず、キャリア全盛時にはワールド杯、欧州選手権とも無縁であった。30才を過ぎてようやく訪れた欧州の舞台、1984年欧州選手権では開幕フランス戦にてDFレルーとの接触により骨折、本人にとっては不本意な閉幕となる。1986年W杯もチームはベスト16という好成績を残すが、全盛期を過ぎたシモンセンの出場した試合はわずか1試合に終わった。キャリアのピーク時に代表として活躍の場がなかった事が非常に惜しまれる所である。 1978年、ボルシアMG時代にジャパンカップ(現キリンカップ)第1回大会にて来日、5試合4得点を決め優勝に貢献し、観客を大いに沸せてくれた事を懐かしむ日本のオールドファンも数多いであろう。1994年からフェロー諸島の監督として長期に渡り手腕を振るったが、2001年11月30日に代表監督を辞任する事を表明した。 (01/10/19 Created)(04/04/14 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||