Omar SIVORI

オマール・シヴォリ

オマール・シヴォリのフォト
 フルネームオマール・エンリケ・シヴォリ
 国籍アルゼンチン・イタリア
 生年月日1935年10月2日
 出身地サン・ニコラス
 ポジションFW・MF
 身長・体重170cm・72kg
 個人タイトル1961年欧州最優秀選手
(F・F誌)
 ワールド杯1962年グループリーグ敗退
所属クラブ
1952-57リバープレート
1957-65ユベントス(イタリア)
1965-69ナポリ(イタリア)

強気でいて短気な性格であったが、その洗練されたテクニックと左足での正確かつ強烈なシュートによってゴールを量産、代表としてもアルゼンチン代表、イタリア代表としてプレーしたアルゼンチン人選手。愛称カベソン(デカ頭)、エル・グラン・スルド(偉大なるレフティー)。

テアトロ・ムニシパルでプレーした後若くしてリバープレートへ引き抜かれる。当時リバーの監督を務めたチェザリーニは、すぐにシヴォリの才能を見抜きトップデビューにさほど時間はかからなかった。その期待に応えるかのように得点を量産し3度のリーグ優勝に貢献、1956年1月22日ペルー戦にてアルゼンチン代表デビューも果たしV・アンジェリッロ、H・マスキオ等と共に破壊的な攻撃力を発揮すると翌年のコパ・アメリカを制している。この活躍から欧州各国のクラブは競ってスカウトに動き1957年、当時としては世界最高額となる1000万ペソでユベントスへ引き抜かれる。同年9月8日ヴェローナ戦にてセリエAデビューを果たすと移籍1年目にして22得点とゴールを量産し桁違いな実力を発揮、スクデット獲得に貢献し更に59/60、60/61シーズン連覇に加え59/60シーズンには27得点で得点王にも輝いている。また、イタリア国籍を取得していたため1961年には欧州最優秀選手も受賞。(当時バロンド−ルは欧州国籍選手にしか認められていなかった。)しかし、その短気な性格が災いしピッチ内外でトラブルも多くセリエAにおいては通算30回以上の退場処分を受けている。チームメートや監督ともトラブルも多く、その結果1965年にユベントスを離れナポリへ移籍、ここでは時を同じくして加入したブラジル人ストライカーアルタティーニと大親友となり在籍した4年間、そのコンビでファンを魅了した。セリエA通算12シーズン278試合146得点。

当時、国籍さえ取得していれば、何ケ国でもプレー出来た事からイタリア国籍取得後の1961年4月25日、ボローニャで行われた北アイルランド戦にてイタリア代表デビュー、この試合で決勝弾となる初得点を挙げ、3キャップ目で迎えた故郷アルゼンチン戦では2得点を記録し勝利に貢献、翌年のW杯にも出場を果たしている。

引退後は母国へ戻りリバープレート、アルゼンチン代表監督等を務めた他ユベントスの南米スカウトを務め、2005年2月、すい臓癌のためその生涯を終えた。偉大なるレフティーの伝説は、今後いつまでも語り継がれていくだろう。

(05/04/04 Created)
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