Eduard STRELTSOV
エドゥアルド・ストレリツォフ | ||||||||||||||||||
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ヒールパスを使用したフェイントを好みそのキャリアの全てをトルペド・モスクワに捧げたロシアのペレとも呼ばれた旧ソ連の伝説のストライカー。また、所属したトルペド・モスクワへの並々ならぬ愛情のため7年間もの間愛するサッカーから離れることを余儀なくされた悲劇の主人公でもある。 モスクワで生まれたストレリツォフは1953年、モスクワのクラブトルペド・モスクワにてキャリアをスタートさせると翌年弱冠17才でトップデビューを果たす。ここですぐにレギュラーとして活躍すると翌シーズンには15得点を決め得点王のタイトルを獲得。代表としてもデビュー戦となる1955年6月26日スウェーデン戦にてハットトリックを決めて鮮烈な代表デビューを果たし、1956年メルボルンオリンピックでは4試合2得点と活躍し金メダルメンバーに名を連ねた。 若くして輝かしい栄光の道を突き進んでいたストレリツォフであったがその悲劇は突然訪れた。その素晴らしい才能はソ連の秘密警察であるKGB(ソビエト連邦の国家保安委員会)の目にとまってしまい彼らのクラブであるディナモ・モスクワに入るよう強要される。しかしストレリツォフはこの要求を拒否。KGBに逆らったストレリツォフはそれから程なくして、婦女暴行の濡れ衣を着せられ、59年から64年までの7年間労働キャンプに強制収容させられてしまった。 7年間の労働を勤め上げたストレリツォフは1965年より愛するトルペド・モスクワへ復帰。エースの復帰により勢いづいたクラブは、その年に国内リーグ優勝を成し遂げた。ストレリツォフはその後も再び素晴らしい活躍を見せ、1968年にはリーグ2位となる21得点を記録し、ソビエト年間最優秀選手にも選出された。また、代表復帰も果たし旧ソ連歴代4位となる通算25得点を記録しているが、この得点はわずか38試合にて達成されたものであり、いかに得点感覚に優れていたか想像出来る所である。 1970年まで同クラブでプレーを続けたのち現役を引退。63歳の誕生日の前日1990年7月20日咽頭ガンによりこの世を去ったが、トルペドスタジアム入口には彼の銅像が飾られ、今尚伝説的プレーヤーとして人々に語り継がれている。 (06/08/07 Created)Presented by SHOW , collaboration is LEVEL-K football Island | ||||||||||||||||||