Keiji TAMADA
玉田圭司 | ||||||||||||||||||
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持前のスピードと暖急を織り交ぜたドリブルが大きな武器であり左足から放たれる思いきりのよいシュートも持味。また、幅広いプレーエリアを持つ事から、サイドに流れチャンスメーカーとしての役割もこなす。 幼少時代、兄の影響もあって入船少年サッカークラブでサッカーを始め小学5年から市川名門市川カネズカサッカークラブにて本格的に育成される。その後入船中を経て習志野高へ入学、1年の頃から主力として活躍するがその名が大きく知れ渡ったのは高校3年の時。国体にて千葉県代表として優勝に貢献すると同年全国高校サッカー選手権千葉予選決勝にて名門市立船橋を相手に決勝弾を挙げ母校を6年振りの本大会へ導いてみせた。本大会では1回戦で敗れるが、玉田の元にはJ数チームからオファーが舞い込み、1999年に柏レイソルと契約、同年3月13日アビスパ福岡戦にてJデビューを飾った。加入3年目までは思うような出場機会に恵まれなかったが2002年に監督に就任したアウレリオに高く評価されると同年8月コンサドーレ戦にてプロ初ゴール、入団から4年目にしての嬉しい初得点であった。翌2003年開幕前にはエジウソンの離脱も手伝ってレギュラーの座を確立、この期待に応え通算11得点を挙げる活躍を見せた。チームが低迷していた事もあり、その存在が脚光を集める事は少なかったがこの成長振りは日本代表監督であるジーコの目にとまり2004年3月31日シンガポール戦にて代表初キャップを刻む。同年アジアカップでは全試合に出場、グループリーグ3試合に加え決勝トーナメント1回戦まで無得点と不本意な出来であったが、準決勝バーレーン戦にて2得点を記録し激闘(4ー3)の勝利に貢献、続く決勝中国戦でも得点を記録し優勝に大きく貢献した。 2005年11月末の右足疲労骨折後は日本代表を離れ、その間佐藤や巻といったストライカーが台頭、それでもジーコ監督の信頼は揺るがず2006年W杯メンバーにも名を列ねた。本大会では高原、柳沢の影に隠れ思うような出場機会に恵まれなかったが、第3戦ブラジル戦にて強烈な左足のゴールを記録している。 (06/05/25 Created)(06/07/17 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||