Tatsuya TANAKA
田中達也 | ||||||||||||||||||
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小柄ながら抜群のスピードと技術を駆使したドリブルによって局面を打開し、チャンスとみれば思いきりよく振り抜く強烈なシュートも持味。またアシスト能力にも優れチャンスメーカーとしての役割を果たすだけでなく前線で常にボールを追い守備にも献身的に参加、すべての面において次代の日本代表を担う事が期待されるスター候補である。浦和レッズ所属。 地元市立周陽小学校にてサッカーを始め、その後兄と同じ市立周陽中学校を経た後サッカー名門帝京高校へ入学するため上京、身長が低かったため当初はレギュラークラスではなかったが、得意のドリブルによって地位を確立させていく。1年の時に早くも全国高校選手権に出場、決勝で東福岡に敗れたが、スターティングメンバーに名を列ねた。2年の時には2得点を挙げ大会優秀選手にも選出され、その後浦和レッズへ入団する事となる。2001年4月29日ファーストステージ第6節鹿島戦にてJリーグデビューを果たし初アシストを記録すると同8節ヴェルディ戦において初ゴールを記録する。この頃はルーキーであった事もありレギュラー獲得には至らなかったが、その後監督に名将オフトが就任、この下で持ち合わせた才能を一気に開花させスーパーサブからレギュラーの座を射止める事に成功する。2003年シーズン、エメルソンとの俊足コンビはJリーグの中においても屈指の2トップである事を証明、自身も通算11得点を挙げシーズン優秀選手に選出されると、ナビスコカップでは準決勝、決勝の両試合で貴重な得点を挙げクラブ史上初となるタイトル獲得に貢献し、この大会のMVPにも選出された。翌シーズンにはセカンドステージではクラブ祈願の優勝にも貢献し日本代表としてもデビューするなど破竹の勢いで地位を築きはじめていたが、2005年10月の大怪我から長期の離脱を余儀無くされる。2006年シーズン7月にようやく復帰を果たしたもののレギュラーポジションをワシントンに奪われ思うような出場機会に恵まれず、リーグ優勝を成し遂げたチームの中で複雑な心境であったと思われる。これを経験として、秘めるポテンシャルの完全開花に期待したい所である。 Uー21代表で挑んだ2002年アジア大会では代表主力として通算2得点を挙げ準優勝に貢献、2004年五輪最終予選では得点こそ2得点に終わるも長身平山とのコンビで存在感溢れるプレーを見せ五輪出場権獲得の原動力となった。迎えた五輪本大会ではサブに甘んじ思うような活躍は出来なかったが翌年8月3日、東アジア選手権中国戦にてフル代表デビューを飾り代表初得点となる強烈なミドルも記録、改めて能力の高さを示した。その後怪我の影響もあり代表から離れ2006年W杯もメンバーから外れオシム新体制の元でも構想から外れているのは残念な所だが今後の成長次第では日本のエースにもなれる魅力的な選手である。 余談だが、彼が小学生の時、兄の練習を見に行った際練習試合に参加、中学生である相手に股抜きを決めるなど、この頃から自身の最大の武器であるドリブルには目を見張るものがあったらしい・・・。 (04/04/28 Created)(07/03/07 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||