Mauro TASSOTTI
マウロ・タソッティ | ||||||||||||||||||
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80年代後半から始まるミラン黄金期、バレージ、コスタクルタ、そしてマルディーニと共に史上最強鉄壁のディフェンスラインを形成、右サイドバックに位置しハードマークで相手を封じるだけでなく果敢な攻撃参加も最大の持味であり、そのプレースタイルはブラジル代表右サイドバックとして50年代から60年代に活躍したジャウマ・サントスと並んで称され、タソッティ自身「ジャウマ」と異名をとる程であった。 地元ラツィオにてキャリアをスタートさせ1978年11月5日アスコリ戦にてセリエAデビューを果たす。80/81シーズン、前季の八百長事件発覚でセリエB落ちとなったミランへ加入し、すぐにレギュラーの座を獲得、このシーズンも含め2度のセリエBを経験しミラン苦難の時代を過ごすがその後訪れる黄金期の予兆でしかなかった。87/88シーズン、クラブにとって復活のタイトルでありタソッティ自身にとっては初となるスクデット獲得に貢献すると、翌シーズンよりチャンピオンズ・カップ2連覇、91/92シーズンからのリーグ3連覇等数々のタイトルに貢献、93/94シーズンチャンピオンズ・リーグでは自身4度目となる決勝の舞台に立ち、3度目の欧州制覇を成し遂げている。ミランにて通算581試合に出場しているが、これはマルディーニ、バレージ、リヴェラに次ぐ歴代4位の記録であり、ミラン黄金期を語る上でけして欠かす事の出来ないスタープレーヤーであろう。引退後はミランプリマベ−ラの監督として指揮を取り、現在はトップチームにてアンチェロッティ監督を補佐している。 ミランの黄金期を支えるスタープレーヤーであり1988年ソウル五輪ではイタリア代表主将を務める程の逸材であったが、当時最強のDFと名高いG・ベルゴミの壁を超える事が出来ずフル代表デビューは32才で迎えた1992年10月14日スイス戦であった。しかし、その後1994年ワールド杯ではメンバーに選出され2試合に出場を果たしている。代表通算7試合。 (06/06/29 Created)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||