Bert TRAUTMANN
ベルト・トラウトマン | ||||||||||||||||||
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1956年FAカップ決勝にて首の骨を折りながらもゴールを守り続けたマンチェスター・シティ伝説の守護神。この活躍が認められ同年のリーグ年間最優秀選手賞を英国人以外で初めて受賞している。 ドイツのブレーメンで生まれたトラウトマンは10歳の時に地元、トゥラ・ブレーメンに所属。左サイドハーフとしてキャリアをスタートさせ、その後ヒトラーのユースチームに参加することを強制させられた。トラウトマンが成人になる頃、第2次世界大戦が勃発しトラウトマンも兵隊として狩り出され、西ロシアへの降下兵として参加。その任務中ロシア兵に捕まってしまい、1度は逃走するもその後英国に捕らえられマンチェスター近郊のアシュトン捕虜収容所に収容される。この収容所にて収容所間のサッカー試合に右のMFとして出場、ここでトラウトマンサッカーキャリアの転機となるGKとしての出場も経験すると素晴らしいセービングを見せポジション転向のきっかけとなった。第2次世界大戦終了後、母国帰還か英国に留まるか悩んだ末後者を選択、ディビジョン4のセント・へレンズ・タウンに加入し、ここで行なわれたマンチェスター・シティとの親善試合をきっかけにシティへの移籍を果たした。 シティ加入当初、英国人にとって憎っくき元ドイツ兵士トラウトマンはシティサポーターの激しい抵抗を受けた。シーズンチケットホルダーたちは「試合観戦をボイコットする」とクラブを脅し、マンチェスターの大通りには4万人もの人が詰めかけ「ドイツを追い出せ」の看板を掲げたという。しかしこの騒ぎもトラウトマンの試合を1度見ただけで収束した。彼の度重なるスーパーセーブに魅せられたサポーターはすぐにトラウトマンを受け入れ、絶対的な守護神として彼を迎え入れたのである。 そして伝説の試合として今尚語り継がれる1956年バーミンガム・シティとのFAカップ決勝戦。75分まで1失点で抑えていたトラウトマンはボールに飛び込み相手FWと衝突。首を強打し負傷してしまう。しかし彼はそこで退かず、残り15分を気迫で守りきり結局試合は3−1でシティの勝利、負傷後も素晴らしいセーブでゴールを守り通したトラウトマンはファンに英雄として称えられるが、その試合から3日後、病院でのX線検査の結果、なんと首の骨が折れていたことが判明し更に人々を驚かせた。この活躍とエピソードにより同年トラウトマンは英国人以外として初のリーグ年間最優秀選手賞を受賞したのである。 シティ在籍中公式戦545試合に出場し、リーグ戦に至っては508試合出場(クラブ歴代2位)記録を保持するトラウトマンであるが、当時ドイツ代表を率いたゼップ・ヘルベルガーは国外でプレーをする選手を招集しない姿勢を貫いていたため代表のピッチに立つ事はなかった。 1964年の引退時には6万人の人々が集まり彼の労をねぎらい、ボビー・チャールトンからは最高のゴールキーパーの1人だったとの賛辞を受けた。現役引退後はガーナ、リベリアなどのサッカー発展に貢献し2004年10月29日にOBE(大英帝国勲位)を受賞。ドイツとイングランドとのサッカーを通じた友好を目的としたトラウトマン基金を設立し、80歳を超えた今でもサッカーに貢献し続けている。 (06/08/2 Created)Presented by SHOW , collaboration is LEVEL-K football Island | ||||||||||||||||||