TULIO Marcus TANAKA
田中マルクス闘莉王 | ||||||||||||||||||
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持ち味である空中戦の強さは攻守ともに力を発揮、DFとしての能力は言うまでもないが持前の攻撃性を活かしMFとしても機能する。日本帰化選手であり五輪日本代表としてプレーし、2006年新体制となったオシムの元で祈願のフル代表デビュー、今後日本代表守備の要として期待される。 母国ブラジルサンパウロ州の小さな町バールミイラ・ド・オエステに生まれ幼年期からボールを蹴る事に夢中であり、少年時代に過ごしたアマクラブでは攻撃的なポジションにてプレーしていた。その後、祖父が広島県出身の日系3世であった事から16才で来日し渋谷幕張高校へ留学、ここでDFとしての才能を開花させるが、攻撃にも大きな役割を果たし母校を全国高校選手権初出場に導いた。2001年にサンフレッチェ広島へ入団、2001年3月11日の鹿島戦で開始早々に負傷したポポビッチに代わり出場しJリーグデビューを果たすといきなり先制ゴールを挙げる。翌年には22試合に出場し主力としてプレーしたがチームはJ2に降格する不運を経験、その後外国人枠の問題から2003年より水戸ホーリホックへレンタル移籍すると、得意の空中戦に加えPKキッカーを努めた事も重なり、第39節新潟戦にてJリーグ史上初のDF登録プレーヤー2桁得点を記録、更に前年73失点を屈した守備力に安定をもたらした。この活躍から翌2004年シーズンより浦和レッズへ加入、ここでも主力となり2004年セカンドステージ優勝に貢献すると2年連続してJリーグベストイレブンにも選出、2006年にはリーグ、天皇杯制覇も成し遂げ同年リーグ最優秀選手にも選出された。2007年アジアチャンピオンズリーグ優勝の原動力であった事は言うまでもないだろう。2008年よりボランチやトップ下にもコンバートされマルチな才能を発揮している。 2003年4月に日本国籍取得申請を行い、約半年後の10月に日本国籍取得。自身のかねてからの夢であった日本代表への可能性を現実のものとする。当時の五輪代表指揮官、山本監督も視察に訪れプレーを賞賛、10月末から行われた香港、カタール遠征ではパスポート申請が間に合わず見送られたが、12月に行われた五輪代表合宿にて初選出され翌年2月8日イラン五輪代表戦にてUー23代表デビューを果たすとすぐにチームの中心となり、同年五輪本大会でも全試合に出場している。フル代表入りも近いかと思われたが、ジーコ監督の元ではデビューは叶わず2006年新体制となったオシムの元で代表召集され同年8月9日トリニダードトバゴ戦にて祈願のフル代表デビューを飾った。決意の日本国籍取得からこの日のデビューまで、約3年は非常に長いものであったと思われるが、今後まったく新しいチームとなる日本代表DFの要であるのは間違いなく、当時の熱い想いを改めて日本代表に注入して欲しい所だ。 (03/11/11 Created)(08/04/14 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||