Fritz WALTER

フリッツ・ヴァルター

フリッツ・ヴァルターのフォト
 フルネームフリードリヒ・ヴァルター
 国籍ドイツ(西ドイツ)
 生年月日1920年10月31日
 出身地カイザースラウテルン
 ポジションFW
 身長・体重174cm・71kg
 個人タイトルなし
 ワールド杯1954年優勝
1958年ベスト4
所属クラブ
1939-59カイザースラウテルン

1954年ワールドカップスイス大会決勝。当時4年間無敗を誇り、マジックマジャールと呼ばれていたハンガリー代表を大逆転の末に破り西ドイツ代表がワールドカップ初優勝を成し遂げた。この『ベルンの奇跡』となった西ドイツ代表のキャプテンがフリッツ・ヴァルターである。優れた戦術眼で攻撃を組み立てると兼ね備えた決定力も遺憾なく発揮し、西ドイツ代表とキャリアの全てを捧げたカイザースラウテルンにてゴールを量産。得点能力もさることながらフリッツ・ヴァルターの絶対的なキャプテンシーは伝説となり代表通算61試合中30試合で主将を努め母国の躍進に貢献した事から初代ドイツ代表名誉主将に選出されている。(2代目:ウーベ・ゼーラー、3代目フランツ・ベッケンバウアー、4代目ローター・マテウス。)

1920年、フランスに近いドイツ南西部の田舎町カイザースラウテルンで生まれたフリッツ・ヴァルターは1928年に地元クラブの1FCカイザースラウテルンのジュニアチームに入団、やがてトップチームへ引き上げられプロデビュー初シーズンから30得点とゴールを量産する。19歳の時には代表デビューも果たし、このデビュー戦でハットトリックを達成させるなど順調なキャリアを築いていたが、時代は第二次世界大戦の真っ只中。ヴァルター自身も22歳のときに徴兵されると落下傘部隊に入隊する事となる。

幸運にも戦争では無事に生き延びることはできたが、その後捕虜となりハンガリーの捕虜キャンプに収容される。程なくしてルーマニアとソ連の国境にある強制労働収容所にドイツ人捕虜たちは移送されるが、ここでは看守と囚人のサッカーの試合が行われていた。ヴァルターは勿論囚人チームの選手として参加したが、彼のプレイを見た看守は別の試合の時に看守チームにヴァルターを入れて試合に参加させたという。その後、ドイツ人捕虜たちはソビエトの収容所に移送されることになったがヴァルターの才能を惜しんだ看守は彼にこう伝えた。「お前の出身地カイザースラウテルンは今はフランス領だ。つまりお前は今はフランス人だ。フランス人はソビエトに行く必要は無い。うちへ帰れ。」

この計らいにより無事に母国に戻ったヴァルターは故郷に帰ると、愛するクラブ、カイザースラウテルンを立て直すことを決意、彼はコーチ、選手は勿論のことグラウンドの整備からクラブのお金の管理まで全て行い、試合では得点を重ね続けた。そして迎えた50/51シーズン、カイザースラウテルンはクラブ創立後初めて国内選手権優勝を成し遂げたのだった。チームはその翌々シーズンにも優勝を果たし、ヴァルター自身も実に38ゴールを記録してその優勝に大きく貢献をしている。

代表デビューは1940年7月14日ルーマニア戦。ハットトリックという鮮烈なデビューを飾るがその後第二次世界大戦の影響で1943年から1950年までは出場していない。国際舞台に戻ってきたのは1951年4月15日のスイス戦であった。1954年、西ドイツ代表監督ゼップ・ヘルベルガーはスイスで開催された戦後初めて西ドイツが出場したワールドカップでヴァルターをキャプテンに任命、ヴァルターはこの期待に応えチームを力強く牽引し母国を決勝に導くと、チームは2点のビハインドを跳ね返し「ベルンの奇跡」と呼ばれる伝説を作ったのである。尚、この大会にはフリッツ・ヴァルターの弟、オットマー・ヴァルターも出場しており史上初めてワールドカップで優勝した兄弟となっている。

4年後の1958年スウェーデン大会では既に37歳になっていたヴァルターだったが代表監督ヘルベルガーの強い要請を受け出場。チームは準決勝まで進むがここで対峙したホスト国スウェーデンを相手に1ー3で敗退、ヴァルターはこの試合で負った怪我がもとで代表を引退し、翌シーズンには現役引退を決意している。引退後も彼の素晴らしさはファンの間で伝説として語り継がれ、彼が65歳の誕生日を迎えたその日にカイザースラウテルンのスタジアムはフリッツ・ヴァルター・シュタディオンに改名され、1999年には20世紀ドイツ代表チームに選出されている。

ヴァルターは2002年6月17日、81歳でその生涯を閉じたが、その評価は変わらず2004年UEFA創立50周年記念にサッカー協会が選ぶ「過去50年で最も素晴らしい選手」にドイツサッカー協会により選出されている。生前、ヴァルターは自分の名前がついたスタジアムでワールドカップが開催されることを夢見ていたが、2006年6月17日、彼の4周忌となるこの日にフリッツ・ヴァルター・シュタディオンではワールドカップグループリーグE組第2戦のアメリカ対イタリアの試合が行われている。

余談ではあるが、ヴァルターは天気が悪い方がプレーの調子が良かったことから、今では雨模様の日を「フリッツ・ヴァルターの天気」と呼ぶのはファンの間では有名な話である。そして、弟であるオットマー・ヴァルターも有能なセンターフォワードであり、兄と共にカイザースラウテルン一筋にプレーし兄にも劣らぬスターとして君臨している。ちなみにシュトゥットガルトで91/92シーズンに得点王となったフリッツ・ヴァルターとは全く関係は無い。

(07/03/05 Created)
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