Koji YAMASE
山瀬功治 | ||||||||||||||||||
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スピードあるドリブル突破を武器にゲームメーカーとして地位を確立させた日本代表MF。攻撃的ポジションならどこでもプレー出来るユーティリティ性に加え決定力も高い攻撃のスペシャリストである。 札幌市立真駒内中在学中にブラジル留学にて約2年技術を磨き北海高校を経て2000年に地元コンサドーレ札幌へ入団すると同時に同年北海学園大学に進学している。同年5月4日ベルマーレ平塚戦にてリーグデビューを果たすと決勝弾となるVゴールを記録、通算14試合に出場しJ1昇格に貢献してみせた。翌2001年シーズンにはリーグ新人王に輝く活躍を見せて不動の地位を確立させたが翌年に右膝靱帯断裂の大怪我を負いわずか14試合の出場に終わった。2003年より強豪チームへと進化途中の浦和レッズへ移籍、ナビスコカップを制し自身初タイトルを手中にしたが2004年に今度は左膝靱帯断裂。この怪我の間にチームがステージ優勝を成し遂げた事でチーム内における自身の存在価値を見失い、札幌時代の恩師岡田監督(当時)が率いた横浜Fマリノスへの移籍を決意。チームの「10番」を背負いレギュラーとして地位を確立させ2007年には自身最多となる32試合11得点、カップ戦を含めると44試合14得点とチームの中で際立った活躍を見せた。 2000年アジアユースでは5試合に出場し3得点の活躍で準優勝に貢献すると翌2001年ワールドユースでは決勝トーナメント進出こそ逃したが全3試合に出場し2得点を記録している。フル代表も間近に思えたが度重なる怪我に悩まされ、ようやく代表初キャップを刻んだのは2006年8月9日トリニダードトバゴ戦。その後しばらくは代表を離れたが復帰戦となった2007年カメルーン代表との親善試合にて代表初得点を記録した。オシム監督に代わって代表監督に就任したのが札幌、横浜での恩師である岡田監督。以後代表の常連となると、この期待に応える活躍でチームをい牽引している。 (08/02/25 Created)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||