Atsushi YANAGISAWA
柳沢敦 | ||||||||||||||||||
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ラストパスからフィニッシュに至までのプレーは素晴らしく、時にはポストプレーから味方のゴールを演出する。運動量も豊富で前線からの守備にも積極的だが、貪欲なゴールへの執着に欠けるとの指摘も。元日本代表。 1985年、地元ジュニアチーム小杉FCにてサッカーを始めた柳沢敦は1992年に日本ジュニアユースに選出され中国遠征を経験、この頃から県内はもとより全国高校からの注目を集めるが腰痛から全国強豪高校への進学を断念、地元富山一高へ進学する。高校2年の終わりに日本B代表にあたる日本選抜に選出されタイで行われたキングス・カップへ参加、森島等と素晴らしい活躍を見せその存在を日本全国に知らしめた。95/96第74回高校選手権ではキャプテンとして3回戦進出に貢献、ゴールこそ1ゴールに終わったが、その高いパフォーマンスはこの大会NO1ストライカーと評され、J13クラブからスカウトを受け、この年の3月、鹿島アントラーズへ入団する。1996年5月のナビスコカップでトップデビューを果たすと続く8月のガンバ大阪戦でJリーグデビュー、デビュー2試合目で初得点を記録すると4試合連続ゴールを記録し「超高校級ストライカー」として評された能力に疑いの余地がない事を証明した。1997年にはリーグ新人王を獲得、以後数々のチームタイトルに貢献する。2001年末、セリエAチームペルージャからの熱烈なオファーを受け移籍は確実と思われたが、ワールド杯を控えた今の移籍に大きなリスクを伴うと判断し断念、その約1年後の03/04シーズンよりセリエA復帰を果たした名門サンプドリアへ移籍を果たした。2003年8月30日開幕レッジーナ戦にて後半途中から祈願のセリエAデビューを果たしたが、レギュラーを確保出来ず無得点に終わり04/05シーズンより加入したメッシーナでもセリエA初得点は奪えなかった。この結果を残念に思う日本のファンも多かった事だろうが出場機会の少なさや不馴れなウィングでのプレーを強いられた事を考えれば幾分納得の出来る所だろう。2006年よりJリーグへ復帰、2007年Jリーグ制覇、天皇杯の2冠に貢献した後2008年より京都へ活躍の場を移している。ちなみに2007年末までに11冠を達成する鹿島アントラーズであったが、この11冠すべてのタイトルに貢献したのは柳沢であった。 日本代表としては1998年2月15日、オーストラリア戦にて代表デビューを果たしたが、同年ワールド杯メンバーからは外れ、以後怪我やスランプなどもあってチーム不動のレギュラーとしての確立は出来ずにいた。その後ゴールに対する執着心、貪欲さを学ぶ事で今やエースストライカーとしての地位を確立、2002年ワールド杯では3試合に出場しベスト16進出に貢献した。残念であったのは、課題である得点が無かった事と自身が出場しなかった決勝トーナメント1回トルコ戦にてチームは敗退しワールド杯を終えた事だろう。ジーコ体制となっても信頼は厚く、2006年W杯ではレギュラーとして挑んだが思うような活躍は出来ずグループリーグで敗退、そして、グループリーグ第2戦クロアチア戦での「決定機」を逃したシーンだけが印象として残ったのは非常に残念な所である。代表通算58試合17得点。 (02/01/17 Created)(08/01/12 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||