Ivan ZAMORANOイヴァン・サモラノ
 フルネーム イヴァン・ルイス・サモラノ・サモラ
 国籍 チリ
 生年月日 1967年1月18日
 出身地 コロニア・デ・マイプ
 ポジション FW
 身長・体重 178cm・78kg
 個人タイトル なし
 ワールドカップ
1998年ベスト16

所属クラブ
1986 コブレサル
1986-87 コブレ・アンディノ
1987-88 コブレサル
1988-91 ザンクト・ガレン(スイス)
1990-92 セビリア(スペイン)
1992-96 レアル・マドリード(スペイン)
1996-01 インテル(イタリア)
2001-02 アメリカ(メキシコ)
2002-03 コロコロ

メモ 












































178cmとけして大柄ではなかったが滞空時間の長い強力なヘディングシュートで
多くのゴールを陥れ、熱い情熱と闘争心溢れるプレーは母国の英雄として
君臨するに終わらず世界中のファンを魅了した元チリ代表スタープレーヤー。

母国エルサルバドル市のコブレサルで頭角を現し1988年にスイスへ渡る。
けして強いとは言えないチームの中で抜群の存在感を示しチームを牽引すると
2シーズン目には23得点を挙げ得点王を獲得、この活躍により注目を集め
翌シーズン途中にスペインリーグセビリアへ引き抜かれる。
ここで2シーズン通算59試合21得点と高い決定力を見せて能力の高さを証明し
92/93シーズンより強豪レアル・マドリードへ加入、
移籍1年目からレギュラーとして34試合26得点を記録、当時デポルに在籍した
ベベットの29得点には及ばず得点王のタイトルは逃すもスペイン国王杯優勝に貢献、
94/95シーズンには28得点を挙げ得点王のタイトルを獲得すると同時に
5シーズン振りのリーグ優勝をチームにもたらした。
96/97シーズンよりセリエAインテルへ活躍の場を移し、このシーズンの
UEFAカップ決勝第2戦では終了間際に同点弾を記録するなどの活躍を見せた。
結局PK戦の末、その栄冠を伏兵シャルケ04へ譲るが
翌シーズンのUEFAカップでは見事優勝を成し遂げ雪辱を果たしている。
98/99シーズンにロナウドに背番号「9」を譲り、
自身は「18」を背負う事となったが1と8の間に小さく+と刻んで「9」への
こだわりを見せた。2001年にメキシコ名門アメリカへ移籍し
デビュー戦でハットトリックを達成するなど健在振りを発揮しリーグ優勝に貢献、
キャリアの最後は自身が幼い頃に憧れたカルロス・カセリが活躍した母国チーム
コロコロにてプレーし現役を引退した。

代表としても1987年6月19日ペルー戦のデビュー以来エースとして活躍、
通算69試合34得点と高い決定力を記録している。
残念なのは、自身が選手としてピークであった1990年、94年ワールド杯を
ロハス事件(?)によって棒に振ってしまった事であるが、
それでも出場停止処分の解けた1998年ワールド杯南米予選では
サラスとの「ZaーSaコンビ」によってゴールを量産、2人で23得点を挙げ
母国を4大会振りのワールド杯に導いただけでなく、本大会でも
抜群のコンビでベスト16進出への原動力となった。
2000年シドニー五輪ではオーバーエージ枠で出場、6得点を叩き出し
得点王を獲得し母国を銅メダルに導き格の違いを見せつけた後、
2001年9月1日フランスとの親善試合を最後に代表を引退した。


余談ではあるが「もっとも抱かれたい男」と、あのマドンナがコメントするほど
南米1、いや、世界1セクシーなプレーヤーとして女性ファンの心も掴んでいた。

(?)ロハス事件=1990年ワールド杯南米予選の最終戦、
チリ対ブラジルの試合中、劣勢にあった試合を再試合に持ち込むため
チリ代表GKロハスが一世一代の大芝居、観客の投げた発煙筒が自身の額に直撃したと
訴えた。その後この茶番がバレ、チリは94年W杯も出場停止処分となった。
(01/03/15 UP ) (03/08/25 更新 )